アトランタ・オリンピックの水泳で金メダル二冠に輝いたブラッド・シューマッハは、2004年のアテネ・オリンピック出場の夢に照準を合わせる治療法について聞いた時は、あまり楽天的にはなれませんでした。彼は、慢性的にC-6、C-7部の頚部椎間板突出で苦しんでおり、このダメージでブラッドの右肘から下の部位と指に耐え難い痛みがありました。これは右僧帽筋の極度の緊張から引き起こされたもので、右の胸筋も引っ張られていました。ブラッドは、耐え難い痛みによって競技を離れなければならないというような夢を見て、治療法を探しました。彼は様々な物理療法を試みて1年を過ごし、極度の痛みにより薬物治療にも頼らざるを得ませんでしたが、投薬とリハビリはあまり効果がないとわかり、ブラッドは自身の夢が離れていくように感じていました。
彼の主治医は、カリフォルニア州のロングビーチにあるリハブ・アソシエイツ(Rehab
Associates)のアキュスコープ・マイオパルスの専門家であるビル・バトキン氏を紹介しました。バトキン氏は過去数年間にわたり患者を治療し、痛みの除去が難しい治療に対して効果を示した患者からは高い評判を得ていました。その結果、ロングビーチのあらゆる医師が彼に最も難しい症例を持ち込んできている状況でした。主治医はブラッドに、バトキン氏に治療してもらうためには、高い治療成功率のために(予約でいっぱいで、治療には)4~6週間待たなくてはいけない旨を話しましたが、ブラッドはオリンピックに向けすぐに始動していくには待てなかったので、すぐにバトキン氏に電話を入れました。バトキン氏は勤務時間後に治療をするということで了承しました。
アキュスコープ・マイオパルスは80年代初頭から普及しており、この治療は他でもないテリー・ブラッドショーによって脚光をあびることになったことをバトキン氏から聞いて、ブラッドは非常に驚かされました。テリー・ブラッドショーは、患っている利き腕を治療するためにこの治療器を使用し、その後あらゆる方法により回復に至り、第83回のスーパーボウルで優勝を飾ったのです。それを聞いて、ブラッドは再び希望に胸をふくらませ、その後バトキン氏はテリー・ブラッドショーだけでなく、ジョー・モンタナ(サンフランシスコ・49ers選手)、ジャック・ニクラウス(プロゴルファー)、ヘイル・アーウィン(プロゴルファー)、ウェイン・グレツキー(プロアイスホッケー選手)を含む多くの人、またローマ教皇でさえも信じられない程の結果を得たことを付け加えました。ブラッドにとっては充分な情報でした。
バトキン氏はブラッドに週に3回の治療を始め、ブラッドはすぐに痛みが軽減するのを感じました。彼が驚いたことには、自身の体力と瞬発力がすぐに改善し始めました。その結果には非常に驚きましたが、なぜこんなにも長い間この驚くべき治療について耳にしなかったのだろうと思うと救われない気分にもなりました。
バトキン氏はこの治療のトレーニングについて説明をしました。バトキン氏は総合医療のソープ・インスティテュート(Thorp Institute)で数ヶ月トレーニングをし、アキュスコープ・マイオパルスの専門家として証書を受けました。ソープ・インスティテュート免許(検定)は、国内のその種の一つ資格です。この検定プログラムは、中国鍼灸ポイント、海峡(チャンネル)と子午線、誘導ミサイルチップ技術を組み合わせた高度に洗練された微弱電流器械を使用するための専門家を養成します。これらの入出力器械は、細胞でも結合組織細胞でもない電気的細胞コンダクタンス(伝導度)において、どんな異常も探して生体をスキャンします。アキュスコープとマイオパルスは、これらのブロックされ抵抗のある部位を見つけ出し、ダメージを受けた低エネルギーの細胞に対して、正常な電気的コンダクタンスを回復させます。生体のあらゆる細胞をごく小さなバッテリー(電池)とみなすと、ダメージを受けた細胞は、(これらの治療器により)正常な健康的細胞として同じ電位(電気的ポテンシャル)を持つことになるのです。
この治療は、放電された細胞あるいは正常化させた細胞へ電気的コンダクタンスを再び満たすために、修正されたシグナルを送り出すことができるのです。バトキン氏はこの種の治療において唯一認定されたユーザーです。その後ブラッドは1ヶ月以内にフルトレーニングができる能力と競技への夢を取り戻しました。そして、ブラッドはオリンピック前哨戦出場の資格を与えられ、カリフォルニア州ロングビーチでのオリンピック・トライアルへの出場が決まりました。
【参考資料:Thorp Institute ウェブサイト/Article: Swimmer Brad Schumacher】